どちらかというと猫っぽいと思う

今週のお題「ねこ」

 

自分や自分の家族を動物に例えることはよくあると思う。中でも、犬っぽいか猫っぽいかなどは定番だろう。細かい要件が決まっているわけではないと思うが、真面目で一途、組織や社会に対してどちらかといえば従順なのが犬っぽいで、飽きっぽくて移り気で個人プレーを好み、どちらかといえば組織や社会に対して従順でないのが猫っぽいというイメージだ。

 

もちろん、一人の人間を完全にどっちかに分類することはできないので、これまた感覚的なものですぎないが、犬っぽさと猫っぽさを割合で示すとより有益となると思う。こう考えると、自分は(犬っぽさ80%、猫っぽさ20%)といったところだと思う。妻は(犬っぽさ60%、猫っぽさ40%)ぐらいだと思う。

 

こうやって割合を用いて整理したのはなかなか的を射ているかもなと思うのは、出会った時に私が妻に対して抱いたイメージと現在妻に抱いているイメージをうまく説明できるからだ。私が妻に出会ったのは大学生の時だったが、そのときは非常に猫っぽい人だな、と思った。でもそれから一緒に過ごす時間が増えていって、また自分自身も他のいろいろな人を見てきて、結局、妻は世の中の平均から比べれば犬っぽい人なんだな、と思うようになった。なので、自分が(犬っぽさ80%、猫っぽさ20%)で妻が(犬っぽさ60%、猫っぽさ40%)というのはすごくしっくりくる。

 

このように割合的に考えてみると、私も妻もどちらかというと犬っぽい人なんだな、ということだ。長年連れ合ってきて今でもとても仲がいいので、人としての傾向がとても近いのだと思う。二人とも世の中的に見れば犬っぽい、というのも そういうことなのだと思う。もし二人の傾向がもっと違っていたら、今みたいに仲の良い夫婦関係を維持するのがもっと難しかったのだろうな、などと思ってしまう。

 

話を当ブログの主題に戻すと、次男はじゃあどっちに似てるのか、ということだ。どっちというのは夫婦の話ではなく、あくまで犬猫の話。次男は猫っぽくて、その割合は(犬っぽさ40%、猫っぽさ60%)かなあと思う。なので、次男は世の中的に見てもどちらかというと猫っぽい人なんだと思う。

 

さて、犬っぽい猫っぽいという話を教育につなげていきたいと思う。そのために、学校空間に対する適応力(学校適応力)という概念を持ち出したい。簡単に言えば、学校でうまくやっていく能力のことを指している。これをもう少し分解してみると、以下の三つの力になるだろう。

  • 先生に好かれる力
  • 友達とうまくやっていく力
  • 課題(勉強など)をこなしていく力

この3つの力に優れていると、学校で楽しくやっていけるというわけだ。もう少し教育的観点からけば、学校適応力が高い子供は、学校空間において順調に成長していく蓋然性が高い、ということになる。我が子の学校適応力が高いと思えるのであれば、子供の成長を学校に任せる、という選択もありだろう。

 

 ここで犬っぽさ・猫っぽさと学校適応力の中でも小学校低学年時に特に重要となりそうな先生に好かれる力との関係について考えてみたい。先に説明したように、犬っぽさ・猫っぽさの一つの軸は組織に対する従順さ・非従順さである。とすると、先生に好かれやすいのはどっちかな、というと、それはより犬っぽいほうだということになる。先生にとっては扱いやすい生徒のほうがいろんな意味で助かるからね。

 

とまあ、こんな風に考えた時、猫っぽい我が次男は学校の先生にとっては少し扱いにくいやつなんだろうな、と思う。別に積極的に反抗しているわけではないのだが、ちょっとしたいたずらをちょいちょいしていたり、人が話している最中に大アクビをしていたり他のことをして聞いていなかったりする、といった具合だ。つつがなくことを進行させたい大人(授業を円滑に進行させたい先生)からすると微妙に迷惑なので、正直イライラすると思う。実際、幼稚園の時に参加した児童クラブなどで先生に嫌われた、ということがあって、似たようなことがその後もちょいちょいあった。

 

こんな感じで次男の欠点を猫っぽさという皮をかぶせて説明してみたが、正直、猫っぽさとは関係ない単なる次男の欠点のような気もする(猫好きな人や猫っぽい方々、ごめんなさい)。ただまあ、少し大人から好かれにくい要素があり、かつ、特に勉強に秀でているわけでもない次男なので、父としてはいろいろと心配が尽きないわけだ。この子の将来は大丈夫なのかなあ、と。当ブログを作るに至った理由を皆さんに理解してもらうため、今回は少し次男の性格について説明した。